三本線が描き続ける物語
アディダスは、単なるスポーツブランドではありません。数十年にわたり、世界のストリートとカルチャーの「主役」であり続ける稀有な存在です。本稿では、アディダスがなぜこれほどまでに人々を惹きつけ、時代を超えて愛され続けるのか、その理由を探ります。
なぜ私たちは、何十年も前のモデルに新鮮さを感じ、同時に最新のテクノロジーに心を躍らせるのでしょうか。その答えは、アディダスの持つ「過去の遺産」と「未来へのビジョン」を往復する、巧みな戦略の中に隠されています。
第1章:なぜ私たちは「定番」を選び続けるのか ~色褪せない名作たち~
アディダスの揺るぎない強さの源泉は、その圧倒的な「アーカイブ(過去の遺産)」にあります。ここでは、誕生から半世紀以上を経てもなお、私たちの足元の「おすすめ」であり続ける、2つの偉大な定番に焦点を当てます。
1-1. スーパースター(Superstar):バスケットボールコートからヒップホップの象徴へ
「スーパースター」は、1970年にバスケットボールシューズとしてデビューしました。そのルーツは、1965年に発表された「Supergrip」や「Pro Model」といった先駆的なモデルにまで遡ります。
このシューズの最もアイコニックな特徴である「シェルトゥ(貝殻のようなつま先)」とオールレザーのアッパーは、元々、激しいプレーからアスリートの足を守る「プロテクション(保護)」のために設計された純粋な機能でした。
しかし、この機能的なデザインが、後にカルチャーの象徴へと昇華します。1980年代後半、スーパースターはバスケットボールコートを飛び出し、ヒップホップのパイオニアたちやスケートカルチャーの担い手たちによって見出されました。特にRun-D.M.C.が愛用したことで、それは単なるスポーツシューズから、世界的なストリートウェアのアイコンへと進化したのです。
この「機能がカルチャーアイコンになる」という流れは、アディダスの成功パターンの原型と言えます。アディダスは、スーパースターが持つ音楽やユースカルチャーとの強い結びつきを深く理解しています。2025年7月には、世界のミュージックアイコンであるジェニー(BLACKPINK)らを起用した「Superstar: The Original」キャンペーンを展開し、この定番モデルが過去の遺産ではなく、常に「今」のカルチャーの最前線にあることを改めて世界に示しています。
1-2. スタンスミス(Stan Smith):ミニマリズムの極致と「顔」の力
スーパースターと並ぶもう一つの巨塔が、1965年にテニスシューズとして発売された「スタンスミス(Stan Smith)」です。
このシューズの最大の特徴は、その「究極のシンプルさ」にあります。配色は原則として2色のみ、アッパーには上質な天然皮革を使用し、装飾的なパーツを一切排した無駄のないデザインが、クリーンな上質感を醸し出しています。
そして、このミニマルなデザインの中で唯一無二のアクセントとなっているのが、シュータン(靴の舌)にプリントされたスタン・スミス氏の「顔」です。他の多くのスニーカーがブランドロゴ(例えばスリーストライプス)でアイデンティティを示す中で、スタンスミスは「個人の肖像」を採用しました。
この発明により、この靴は「アディダスの靴」であると同時に、「スタン・スミスという名の靴」という、非常にパーソナルなアイテムとしての性格を帯びました。これこそが、単なるテニスシューズの枠を超え、ファッションアイテムとして幅広く愛される理由の一つです。
【定番の中の豆知識】
スタンスミスの歴史には、コレクターを魅了するいくつかの「謎」が存在します。ヴィンテージ市場では、スタンスミスの前身である「ハイレット」というモデルのシュータンに、スミス氏のサインだけを載せた「ハイレットスミス」と呼ばれる非常に希少な初期モデルが存在します。さらに、最初期のヴィンテージモデルでは、スタン・スミス氏のイラストに「ヒゲ」が描かれていたものもあり、現行モデルとの細かな違いが、その歴史の深さを物語っています。
第2章:2025年、アディダスが「今」熱い理由 ~現在のトレンド解剖~
アディダスは、決して過去の遺産に安住しているわけではありません。2025年現在、彼らはアーカイブを巧みに再解釈し、新たなパートナーシップを次々と打ち出すことで、スニーカー市場のトレンドを力強く牽引しています。
2-1.「サンバ(Samba)」の圧倒的リバイバルと「ニュートロ」
2025年のスニーカートレンドを語る上で、「サンバ(Samba)」の存在は欠かせません。現在、男女を問わず世界中のファッショニスタがこぞって愛用し、まさに「イット」スニーカー(今、最も旬なスニーカー)として大ヒットを記録しています。
この人気の背景には、いくつかの明確な理由があります。
1. ニュートロ(New-Retro)デザイン: 1950年にサッカーシューズとして誕生したという長い歴史が、中高年の世代には懐かしさを、Z世代を中心とする若い世代には新鮮な「ニュートロ(新しいレトロ)」のムードとして映りました。
2. 圧倒的な汎用性: T字型のつま先とスリムでクラシックなシルエットが、カジュアルなデニムスタイルから、きれいめなドレッシースタイルの「外し」アイテムとしてまで、あらゆるコーディネートに難なく馴染みます。
3. インフルエンサーの影響: 韓国のアイドルや海外のインフルエンサーたちが愛用していることも、この人気に拍車をかけています。
この熱狂的な人気を受け、アディダスはサンバのラインナップを急速に拡大させています。このモデルの多様化が、消費者の細かなニーズに応え、トレンドをさらに強固なものにしています。
【表1:アディダス「サンバ(SAMBA)」主なモデル比較】
| モデル名 | 主な特徴とスタイル |
|---|---|
| サンバ OG (SAMBA OG) | 迷ったらこれ、というべき王道モデルです。クラシカルモダンな雰囲気で、重厚感のあるレザーを使用しています。 |
| サンバ クラシック (SAMBA CLASSIC) | 「長いシュータン」が最大の特徴です。軽量ミッドソールで快適な履き心地です。 |
| サンバ ADV (SAMBA ADV) | OGを思わせるルックスながら、耐久性の高いレザーとスエードのアッパーを持つスケートボーディング仕様です。 |
| サンベイ (SAMBAE) | 半透明の厚底ソールを採用し、さりげないスタイルアップ効果が狙えます。刺繍のスリーストライプスも特徴です。 |
| サンバ ヴィーガン (SAMBA VEGAN) | デザインはそのままに、合成皮革を使用した完全ヴィーガン仕様です。軽量でソフトな履き心地です。 |
2-2. コラボレーションが牽引する熱狂
現在のアディダスのトレンドは、巧みなコラボレーション戦略によって生み出されています。
トレンドの火付け役:「Wales Bonner(ウェールズ・ボナー)」
サンバの爆発的人気を決定づけたのが、ロンドンのデザイナー、グレース・ウェールズ・ボナーとのコラボレーション「Wales Bonner」です。特に、光沢のあるシルバーのパテントレザーや、工芸品のようなクロシェ(かぎ針編み)のディテールは、サンバを単なるスニーカーから「モードな工芸品」の域にまで高め、ファッション感度の高い層の心を掴みました。
YEEZY後の新たな柱:「Fear of God Athletics」
後述する「YEEZY(イージー)」との歴史的な契約終了後、アディダスが新たな「カルチャーの柱」として大きな期待を寄せているのが、ジェリー・ロレンツォが率いる「Fear of God」とのライン「Fear of God Athletics」です。2024年8月に「ONE BASKETBALL」モデルが発売され話題となり、2025年に入ってからもFear of God本体の「ESSENTIALS」ラインが活発にコレクション(1月、6月、7月)を発表しており、コラボレーションラインへの期待がますます高まっています。
この2つのコラボレーションは、アディダスの高度な戦略を示しています。Wales Bonnerは、サンバという「過去のアーカイブ」に新たな文脈(クラフトマンシップや文化的な奥行き)を与えて再活性化させる役割を担っています。一方で、Fear of Godは、アディダスの「未来のデザイン」を提示し、かつてYEEZYが担っていた「先進的なストリートの熱狂」を生み出す役割を期待されています。
アディダスは、2025年後半にかけてもこの多角的なパートナーシップを加速させています。
- 音楽: 英国の伝説的バンド、オアシス(Oasis)との「LIVE ’25 コレクション」(9月)
- パフォーマンス: メルセデスAMGとの高性能ランニングコレクション(9月)
- フィットネス: LES MILLS(レズミルズ)とのコレクション第3弾(8月)
- カルチャー: Y-3 NEIGHBORHOOD®(バイカースピリットへのオマージュ)、SPZL FW25(過去への敬意)
第3章:知ればもっと面白い、アディダスの「豆知識」と「転換点」
巨大なブランドの歴史には、必ずアイデンティティを形作った「秘密」と、未来を決定づけた「転換点」が存在します。
3-1. 謎:アディダスになぜ「3つのロゴ」があるのか?
私たちが目にするアディダスのロゴには、主に3種類(パフォーマンスロゴ、オリジナルスロゴ、Y-3などのスタイルロゴ)があります。その中でも特に象徴的なのが、前述のスタンスミスやスーパースターなど、定番ライン「アディダス オリジナルス」で使用される「トレフォイル(三つ葉)」ロゴです。
このロゴは1972年から1995年までアディダスのメインロゴとして使用されました。そのモチーフは、古代スポーツの勝者に与えられた「月桂樹の冠」です。
そして、このロゴに隠された意味こそが、アディダスの本質を表しています。トレフォイル(ドイツ語で「三つ葉」を意味する)が重なるデザインは、アディダスというブランドが持つ「多様性(Diversity)」を象徴しているのです。
1972年という時代に「多様性」をブランドの核に据えたことは、驚くべき先見の明であったと言えます。当時は「多くのスポーツ分野をカバーする」という意味合いだったかもしれません。しかし結果として、アディダスはスポーツという枠を自ら飛び越え、音楽、ストリート、ハイファッションといった「多様なカルチャー」と結びつくことで、唯一無二のブランドへと成長しました。トレフォイルロゴは、まるでブランドの未来そのものを予言していたかのようです。
3-2. 転換点:「YEEZY(イージー)」との歴史的提携と、その終焉が意味するもの
アディダスとカニエ・ウェスト(現Ye)氏による「YEEZY」ラインは、スニーカーの歴史に残る大成功を収め、アディダスに莫大な利益と文化的影響力をもたらしました。しかし、Ye氏の発言を巡る問題を受け、2022年に両者の契約は劇的に終了します。
この「YEEZYとの決別」こそが、現在のアディダスの戦略を理解する上で最大の鍵となります。
契約終了後、アディダスは残された在庫の販売を段階的に行い、2024年8月には「YEEZY DAY 2024」として過去のアイテムの一斉発売などを実施しました。一方で、Ye氏はアディダスから完全に独立。2025年に入り、新たなドメイン環境でYEEZYを再ローンチし、アディダス時代から離れた独自制作のフットウェア($20スライドなど)を2025年8月に発売するなど、独自の道を歩み始めています。
YEEZYという「一人のカリスマに依存する」巨大な柱を失ったことは、アディダスにとって大きな転換点となりました。彼らはこの事態を受け、戦略を大きく転換します。それは、YEEZYという一つの「巨大な柱」に頼るのではなく、第2章で見てきたように「サンバ(アーカイブの再発掘)」、「Fear of God(新たなカリスマ)」、「Wales Bonner(ハイファッション)」、そして後述する「リバプールFC(スポーツ本流)」といった、無数の「多様な柱」を同時に立てる戦略への移行です。
皮肉なことに、この戦略は、奇しくもトレフォイルロゴが元来象徴していた「多様性」への回帰とも言えるのです。
第4章:未来へのスリーストライプス ~アディダスの「今後の動向」~
過去の遺産と現在のトレンドを両立させるアディダス。彼らが次に見据える「未来」は、「イノベーション(技術革新)」、「サステナビリティ(持続可能性)」、そして「戦略的パートナーシップ」という3つの分野に明確に表れています。
4-1. イノベーション:未来の「履き心地」と「製造方法」を定義する
① 4Dミッドソール(3Dプリンティング)
アディダスは、米シリコンバレーのCarbon社が開発した革新的な3Dプリント技術「デジタル光合成製法」を採用しています。これは、液状樹脂に光と酸素を当てて硬化させ、精密な格子状のミッドソールを生み出す技術です。
従来の3Dプリンターが試作品レベルだったのに対し、この技術は「量産」を可能にしました。これにより、アスリートの膨大なランニングデータに基づいた、これまで不可能だった精密な設計のミッドソールが実現。また、余分な廃材を生み出さないエコな側面も持っています。
当初はランニングシューズやバスケットシューズが中心でしたが、2025年にはついにゴルフシューズ「MC87 4D」にも搭載されました。これは、クラシカルな天然皮革のアッパーと最新の4Dソールを融合させたモデルであり、4Dが定番テクノロジーとなりつつあることを示しています。
この4D技術の真の革新性は、クッション性だけではありません。アディダスが「スピードファクトリー」と呼ばれるマスカスタマイゼーション工場にこの技術を導入している点は、将来的には「一人ひとりの足の形や走りの癖に合わせて、その場でミッドソールを“印刷”する」という、究極のパーソナライズ化への道を開くものです。
② パフォーマンスの限界突破とアパレル新技術
ランニング分野では、「ルール度外視」と銘打たれた規格外の反発力を持つコンセプトシューズ「ADIZERO PRIME X STRUNG」を開発。これは、熾烈な開発競争の中で、技術の限界に挑戦し続けるアディダスの意志の表れです。
アパレル分野でも、2025年に新技術が続々と発表されています。
- トリプルドライ® (TripleDry®): 2025年9月に発表された、熱や汗に対応し快適性をサポートする新技術です。
- クライマクールプラス (Climacool Plus): 2025年11月発表の2026年ワールドカップ・サッカー日本代表ユニフォームに採用された最新技術「Climacool Plus」です。3Dボディマッピングによる高通気メッシュと、汗を素早く水蒸気として逃がす透湿性を両立させています。
4-2. サステナビリティ:「リサイクル」から「サーキュラー(循環)」へ
アディダスは長年、「パーレイ・フォー・ジ・オーシャンズ(Parley for the Oceans)」との協業を通じ、海洋プラスチックゴミを回収・再利用した製品を開発し、サステナビリティの顔としてきました。
そして2025年、アディダスは次なるステップに進みます。2025年2月、彼らは「Closing the Footwear Loop(靴の循環の輪を閉じる)」イニシアチブに参画しました。
これは大きな方針転換を意味します。「Parley」が「Intercept(回収)」、つまり“海に捨てられたプラスチックを使う”という「リサイクル」の段階であったのに対し、「Closing the Footwear Loop」は、フットウェアの「リニア型(作って・使って・捨てる)」経済モデルそのものを「循環型」へと転換することを目指すものです。これは、「リサイクル」から「リデザイン(再設計)」へ、つまり“捨てずに済む靴のシステムを作る”という、より根本的な課題への挑戦です。
4-3. 戦略的パートナーシップ:スポーツの「本流」への回帰
YEEZYというストリートの熱狂を手放したアディダスが、同時期に何を強化したのか。それは、自らの原点である「スポーツの“本流”」です。
2025年8月、アディダスはイングランドの超名門リバプールFC(Liverpool FC)と、2025/2026シーズンからのパートナーシップ再開を発表しました。これは、実に13年ぶりのタッグ復活となります。
この動きは、Fear of God(新たな熱狂)の獲得と同時に、リバプールFC(本流の権威)を取り戻すという、両面作戦です。アディダスは、2026年ワールドカップのユニフォーム開発、メルセデスAMG(モータースポーツ)との提携、トップアスリート(ノア・ライルズ選手など)の起用を通じて、自らの原点である「スポーツにおける絶対的な信頼性」と「オーセンティシティ(本物であること)」を、何よりも重視する姿勢を鮮明にしています。
あらゆるカルチャーでの人気も、この「スポーツでの本物感」という強固な土台があってこそ成立する、という原点に立ち返っているのです。
おわりに:あなたの足元にあるアディダス
アディダスの魅力とは、その見事な「両義性」にあるのかもしれません。
「スタンスミス」のように50年以上変わらない安心感を私たちに与えてくれる一方で、「4Dミッドソール」のような未来のテクノロジーで私たちを驚かせる。
「サンバ」のようにアーカイブから新たなトレンドを生み出すと同時に、「Closing the Footwear Loop」のように未来の地球環境までを見据えている。
本稿で探求してきたように、アディダスは「過去」と「未来」という両輪を巧みに回しながら、「現在」のカルチャーを創造し続けています。あなたの足元にあるその一足もまた、そんな壮大な物語の一部なのです。
© 2025 アディダス魅力探訪

